shioka-816’s diary

だいよんのせいしゅん

やった人にだけわかること


物の見え方に意識して生活していると、
まさにいろんな情報が飛び込んでくるので面白い。

先日、学生時代から仲の良い友人が家に遊びに来てくれました。
その友達はおっちょこちょいで、二人の間ではネタがたくさんある友達です。

 

その友達の行動一つ一つが危なっかしくて、
「相変わらずだなぁ。」
と心の中で思いながら過ごしていました。

 

起きてメイクをしているとき、
鏡の位置を調整するためにその子は中身の入ったコップを用いていました。

「なんでそんな危険なものを使うんだろう。
彼女の視点できっとそれがベストの位置だったんだろう。」

 

と思って他のことをしていたら、
『きゃーーーー!』
と悲鳴が聞こえました。

案の定、
コップが倒れ、リンゴジュースがカーペットにバシャッ。

 

彼女は自分が鏡の支えにしているものが、コップだとは気づかなかったらしいです。

 

驚きです。
予想できていたことが起きて、可笑しすぎて笑いました。
彼女は懸命に謝ってくれ、一生懸命拭いてくれました。

 


出かけることになり彼女の車を一目見たとき、
「タイヤのホイールが黒いなぁ」
と思いました。

 

なにしろ最近中古で購入したとのことで、
「この彼女がまさかのオフロード系かスカチューンとか好きなのか。。」
くらいに思っていました。

彼女があまり車に詳しくないこともあり、
「知らずに買ってたらもっとおもしろいな。。」
と思っていました。


すると、車内で彼女が
『そういえば最近、右折に失敗してタイヤのホイールキャップがとれたんだよね。』
と言いました。


驚きです。
しかも、現場へすぐに探しに行ったそうですが、見つからなかったらしいです。

可笑しくて笑いました。

 

このように視点が変わると
今まで見えていなかったものが見えてくるということが分かりました。

私が今回行っている実験をしていなければ、

二つの事柄に目を向けていなかったかもしれません。

 

 

いつも通りだろうか。
違和感のあるところはないか。
これで完了しているだろうか。
やりっぱなしになっていないだろうか。

 

相手の表情はいつも通りだろうか。
正しい言葉を使えただろうか。
支払いと請求は済んでいるか。
大事な道具が出しっぱなしじゃないだろうか。


基本的なことを
常にこなし、常に新しい行動の準備をする。
自分にとって譲れないもの、相手にとって大事なこと
直接じゃなくても、最終的には両方うまくやっていく。

そして、今目の前にいる人と、気持ちよく心地よく過ごしていく。
楽しく仕事してもらう。
完璧に物を作り、仕上げていく。

 

 


元恋人が口癖のように言っていた、
『人の心の痛みのわかる人になりたい。』
『調子に乗ってはいけない。常に、自分はまだまだです、と人に言えるようにしたい。』
『人を上げて、自分は下げる。いつも。』
『本人のいないところで、その人のことを褒めまくりたい。人の良いところを他の人に広めたい。』


毎日のように私に言っていました。
私が見ている限り、彼は常にそうしていました。
それがどんなことなのか、あの時にはわからなかったことが、自分の中の経験として実感できていることに気が付きました。

 

 


彼はいつも誰かのことを褒めていました。
『あの人はすごい』
『あの人のこういうところがかっこいい』
『あの人は男たるものを持っている』
『あの人は愛されている』
『あの人がすごいのは、奥さんがもっとすごいから』
『奥さんが偉いよ』
『あの親あってのあの子供たちだな』
『お前のそういうところがすごい』
『お前はやると決めたら必ずやるからな』
『お前はやらないと決めたら必ずやらない、そこがすごい。俺にはできない。』
『お前はすぐに気付くからえらい』
『お前には俺の表情が分かってしまうからかなわない、わからないようにしてるのに』
『お前はいろんなことを器用にできるのがすごい』
『それを全然表に出さないところが好き』
『だからそのままでいいよ』
『俺が周りの人に伝えてるから大丈夫』
『お前がいろんなことができるのは、お前が努力してきたから』
『お前がおいしいもの作れるのは常に感じたり研究してるから』
『お前が上手に絵が描けるのは小さいころから練習したから』
『お前がギター弾けるのもバイクに乗れるのも遠くに行けるのも裁縫できるのも家事ができるのも、そうなりたいと強く思って行動したから』
『それを才能とかセンスとか、っていう言葉では評価できない』
『お前を評価するなら、努力できるところ』

 


本当に、毎日のように人を褒めていました。
自分も相当がんばって、疲れていても、絶対に
『俺はこんなにやっている』
などとは言いませんでした。

 

どんなに人から褒められても、自分から主張することはありませんでした。
そうあるべきとして、彼が意識的にそうしていたことも知っています。
その強い信念と継続力は、”尊敬”の一言です。
だから、私は彼を唯一評価のできる人として、存在していたいのです。

 

 


彼は、人が調子に乗ったらどうなるのかを知っています。
人の悪口を言ったらどうなるのかを知っています。
仕事で手を抜いたらどうなるのかを知っています。
仕事の取引で、ズルがあったら一生ダメになることを知っています。
一緒に働いてくれる人に、エラそうな態度をとったらどうなるのかを知っています。

 

 

 

経営者は、自分を信じるしかありません。
常に上を向いていないといけません。
走り続けなくてはいけません。

誰も代わりはいません。

孤独で、常に何かに追われていて、休んでいる暇はありません。

どれだけ仕事をきちんと仕上げても、感謝されても、人とうまくやっても、

初めから最後まで、自分しかいないのです。

 

 

 

『こんなのはわからなくていい。やった人にしかわからないから。

 ただ、自分の決めた道に進むしかないから、俺はこれしかできない。』

 

 

こう言われたときは、なんて返したらよいのかわかりませんでした。

 

なぜ彼が、あんなに忙しくしていたかは、彼の功績としか言いようがありません。

彼じゃなかったら、あんなに仕事を呼ぶことはないでしょう。

 

 

『一番きつい時に、一緒にいてくれてありがとう。

 これから同じ仕事量が来たとしても、一人ではできないだろうし、

 来たとしても同じやり方はしないと思う。

 だから本当に感謝してる。』

 

『家族ってチームワークだよな。

 俺がこんな風にできるのは、お前がいたから。

 だからと言って、俺の仕事の同じ気持ちを味合わせることとは違う。

 わからなくていいけど、そう思ってることを知っていてほしい。』

 

 

後からこんな風にも言われました。

 

 

わかってあげたいけど、

きっと計り知れないプレッシャーと精神・肉体の疲労は

彼にしかわからないのだと思います。

わかることではないのです。

 

 

 

だからこそ、

少しでも私は行動したいと思います。

 

あれはどういうことだったのか。

どう意味なのか。

何が伝えたかったのか。

 

 

やってみないとわからない、とはそういうことです。

 

掃除が大事、というのは表のこと。

 

毎日続ける、気付くという習慣は、

やっているから身につくのです。

 

 

 

ますます楽しみになってきました。

 

 

以上

 

 

 

 

 

 

みんなが持ってる弱い心

 

『いつかやるよ』

 

『彼氏にはしないよ』

 

『結婚したらやめるよ』

 

『子供ができたらやめるよ』

 

 

 

『掃除しようと思えば完璧にやるよ』

 

『職場のデスクはきれいだよ』

 

『お客さん来たら何とかするよ』

 

『外面はちゃんとしてるよ』

 

 

 

人々の日常です。

みんな思っています、言っています、やってません。

 

思うのも言うのも簡単です。

宣言するのは一瞬です。

 

やっている人はわずかです。

やっている人になりたいです。

 

やっている途中です。

やっている人を素敵、と思ったから、私も仲間になりたい。

言葉に意味を持って生活したい。

自分の行動に噓をつかない。

 

ストイックで、疲れてしまうのでは?

 

全ては気持ちです。

気持ちがあれば、行動できます。

 

気持ちがないから、疲れます。

誰かの気持ちだから、ストレスになります。

 

自分の内側から湧いてきたものに正直になれば、ただやるだけです。

 

 

忘れてしまうこともあるでしょう。

うっかり失敗することもあるでしょう。

 

トイレ掃除、忘れたこと1度あります。

まだ習慣になっていないのでしょう。

なので、『毎日行うとどうなるのか』という実験は、

誰も知るよしのない闇へ消えていきました。

あの一日やっていたら・・・なんて後悔しても、未来は変わりません。

 

 

なぜ習慣になっていないのか?

 

期間が短いから?

忙しかったから?

人が来ていたから?

体調が悪かったから?

 

起こりうるすべてのことに準備していたか。

忙しかった翌日の朝は早起きしたのか。

人が来た日の最後のシャワーの後、トイレをのぞく余裕はなかったのか。

体調不良にならない工夫はしっかりできていたのか。

 

究極をたどれば、

する気が足りなかった。

これに限るでしょう。

 

忘れたことに気付いた時、どう思ったかが問題です。

『まだまだ意識が足りないな。』

素直にそう思えたことは、私の中での成長でした。

 

 

忘れることや失敗することは仕方がないです。

そのときに、根本的な原因を見つけることが大事です。

もし相手を傷つけたり迷惑をかけたら素直に謝れるか。

言い訳を並べて、納得してもらえるよう相手を”無意識に”コントロールしていないか。

 

相手が忘れたときや失敗したときに、

全部話を聞いてあげられるか。

全ての起こりうることだと考えられるか。

大丈夫だよ、と声をかけてあげられるか。

 

 

また家に来てもらえるようにおもてなししたか。

清潔な身なりと潔白の対応ができたか。

約束が延期になった時、またこちらから誘う行動をしたか。

 

 

 

すぐに、常に、という習慣は、人付き合いでとても大事です。

自分のことを尊重してくれてる、と安心できる相手とは、

このような信頼関係が築けています。

 

そんな仲良しの相手にも、常に思いやりをもって接することはとても大事です。

私の尊敬する、大好きな元恋人は

常に、誰に対しても優しい言葉かけと思いやりのある先回りの行動をする人でした。

そんな人とすぐそばで生活できた経験は、自分の中でしっかりと温めて、生かしていかなければいけないと感じています。

 

今度は、私が与えられる人になります。

同じようにできるように人格が出来上がったら、

もっと優しくできると思います。

自分のことを素直に、説明できると思います。

感情の埋め合わせを相手に求めないと思います。

相手が弱っているときに、ただただそばにいてあげられると思います。

全部話ができると思います。

 

お互いに。

 

 

どちらだけが悪い、ということはあり得ません。

我慢することがよいことではありません。

お互いに、歩み寄れる余裕が大事です。

まっすぐに伝えて、気持ちを交換して、

すり合わせていくことが大事です。

 

白黒はっきりさせるために

思いやりがなくなることは悲しいことです。

 

柔軟なほうが、堅いほうに寄り添える関係が素敵だなと思います。

 

 

 

以上

②成長したことを自ら評価できるのか

 

実験の意図

②自分が成長したということは、自ら評価できるのか

についてです。

 

成長したいという気持ちは”目標”です。

目標が達成されたというのは、”誰が見てもわかる”状態であるべきです。

 

自分がそう感じたからとか、ここまでやったから、という自己判断は宛てになりません。

 

目標達成の証明方法としては、

 

・数字を達成する

・世間から評価される

・一定の肩書を手にする

・一定の大会に出場し、目標の結果を残す

 

などが挙げられます。

目標設定の仕方は、高校時代の部活で鍛えられました。

 

自己判断の恐ろしさも教えられました。

簡単に目標を下げられますし、様々な出来事を理由に言い訳を並べます。

もちろん状況や体調で万全でない日もあるかもしれません。

 

しかし決めた目標の結果が残せなければ、どんなに頑張っても”達成”ではありません。

過程の意味はおおいにあります。

勝っても負けても、経験した人にしかわからない価値があります。

そこでつながれた仲間や人々の関りは、かけがえのないものでしょう。

どんな状況でも、自分の行動に責任を持つ。

言い換えれば、責任も取れない言い訳をするな、ということです。

 

『負けた時に何をするのか。』

 

負けた時に何を思い、すぐに行動を移すか。

ここで人格が問われると高校時代の部活で教えられました。

 

 

『感謝と謙虚の気持ちを忘れるな』

『常に勝ちぐせを付けろ』

『準備を怠るな』

『言い訳をするな』

『パスを上手に受け取れ』

『すぐに言葉にしろ』

『仲間を思え』

『言葉ではなく、行動しろ』

『鉄は熱いうちに打て』

『思ったときに、書き記せ』

『必要なことを必要な時に必要なだけやれ』

『ぬるま湯につかっていい気になるな』

『勇気を持て』

 

 

約十年経った今、不思議なほどにポンポン言葉がよみがえります。

あの監督は、サッカーを通して私たちの未来まで想像していました。

人として、あの時しか学べないことを必死で教えてくれました。

当時ただただ聞いていた言葉も、今回のようにやっと自分のものにできる日が来ることも、監督はわかっていたのかもしれません。

 

言葉の裏にある心理は多くを語らず、私たちに悩む機会をくれました。

本当に、高校時代に得た経験は私にとってかけがえのない宝物です。

今こうして自分と正面から向き合い、新しい目標に向かって行動できるのは監督の言葉が自分の中に存在していたからだと思います。

何よりそこでの仲間は、尊敬できる自慢の仲間で、そうであることが自分の誇りです。

 

 

さて、戻りますが

成長したことを自ら評価するにはどうしたらよいでしょうか。

 

明確にするには、私が”何者か”になることです。

 

 

人に幸せを分け与えられるような、

心にゆとりのある自分になりたい。

大切な人を大切にし、相手からも大切にされるように。

 

人は鏡です。

自分の周りの人へ感謝の気持ちを表現できるようになったら、

きっと周りの人はもっと良くしてくれます。

 

与える側でいたい。

身近な人が困っていたら力になりたい。

人をもてなしたい。

 

 

こんな人になりたい、と浮かぶ言葉は曖昧です。

”何者か”になるべくはっきりとした目標設定ができるよう、考えていきます。

 

 

 

以上

 

 

 

トイレ掃除から生まれる哲学

トイレ掃除を続けるにあたり、

 

共感できる記事を見つけました。

 

 

『トイレ掃除とは

 自分のアウトプット(う〇ち)から目を離さない

 自分の出来の悪い結果(う〇ち)と正面に向き合う

 自分の汚い部分(う〇ち)に正面から向かい合う行為

 である。』

 

『「欠点」・「恥部」(う〇ち)に向かい合うことは勇気』

 

ということ。

 

 

今自分が感じている反省や自分の性格の客観的な視線が、

しっくり当てはまる気持ちになりました。

 

 

物事のすべては原因と結果からできています。

取り入れた情報や蓄えた知識を”インプット”とすると、

自分から発せられる言葉や行動、人付き合いは”アウトプット”になります。

 

この事柄と正面から向き合うということです。

 

 

結果(アウトプット)(う〇ち)は、

本当は嫌なんだけど、目をふさぎたいことなんだけど、

そのままにするのはとても後ろめたく、そして溜めると大変なことになります。

 

 

トイレ掃除は、毎日していればいつもきれいです。

大変になることはありません。

何より、自分が心地よいです。

人が喜びます。

 

毎日掃除をするという行為は、目の前にある状況を変えていきます。

 

人はどうでしょうか。

毎日習慣にしていれば、目の前の状況を変えていくのではないでしょうか。

 

 

良い結果も、そうでない結果も、

原因は自分とその周りの状況が作っています。

 

周りは変えられないとしたら、やはり自分に原因があるのです。

 

このシンプルな考え方は、見て聞いた話でいくらでも知っています。

しかし、やった人にしかわからない手ごたえは確実にあります。

それこそ、今向かい合うべき事柄なのです。

”知ってる”、ではなく、”やってみる”。

 

良いと思ったことは取り入れる。

続けていく。

自分の中の強い意志で、信じていく。

 

この上での結果に、後悔はないでしょう。

私は、それを試しています。

 

 

 

良い流れと環境が少しずつ、確実にできてきています。

 

早くも実験成功の兆しが見えています。

 

 

以上

 

 

取り入れた習慣

 

本日は、取り入れた習慣を挙げていきます。

 

・トイレ掃除を毎日する

・お風呂掃除を毎日する

・水回りをきれいに使う(水滴を拭く)

・靴を履くときトントンしない

・靴を脱ぐときもぞもぞ脱ぎしない

・赤信号は必ず止まる

・いただきます・ごちそう様をする

・食事中携帯を触らない

・髪のセットを必ずする

・口約束を守る

・冷蔵庫の中身を正面を向ける

・足を組まない

・ごみを溜めない

・靴・革のメンテナンスをする(2か月に一度)

・ネイル・肌の保湿ケアを怠らない

・手土産をする

・休日に玄関とベランダの掃除をする

・開けたら閉める

・つけたら消す

・大きな音を立てないように注意する

・椅子を元の位置に戻す

・洗濯機のごみキャッチャーを毎回綺麗にする

・出かけるときに洗い物を全て片付ける

・ベルトのバックルが正面を向いているか確認する

・ポケットの裏側が飛び出ていないか確認する

・黒い服を着るときはコロコロをかける

・人には求めない

 

 

これくらいでしょうか。

 

毎日、毎回行うということがポイントです。

生活する中で気が付いたものがあれば都度取り入れています。

 

 

今のところ、年明け1ヶ月継続しています。

意識して行うと、今までやっていなかったことが信じられません。

 

掃除に関しては、もちろんきれいな部屋だと心地よいですし、

やりっぱなしの習慣がなくなります。

 

良い習慣が増えるというのは、悪い習慣が減るという単純な公式かもしれません。

 

いつもきれいにしていると、大掃除は必要ないですし、

頑固な汚れとも無縁です。

おまけにいつでも人を招き入れる準備ができています。

 

人とかかわることの重要性も、今回の実験で痛感しています。

自分の存在価値は自分の感覚プラス、人からの評価によって認識できるものだとわかりました。

 

今の自宅のインテリアやDIYを褒められたり、

趣味の絵画で喜んでもらえたり、マッサージでリラックスしてもらえたり。

 

 

自分にはこんなにできることがあるんだと、自尊心も強くなりました。

目の前の人に喜んでもらいたい、という私のテーマも、はっきりとしてきた気がします。

この気持ちを軸に、何か新しいことができるのではないかと妄想を膨らましています。

 

世のため・人のために仕事をするとしたら、

身近な誰かを幸せにしたい。

この手で何かを生み出したい。

将来を考え始めた数年前に同じようなことを考えてたなあと、思い出しました。

 

靴をきれいに保ったり、身だしなみに気を使う習慣も新鮮です。

今までやっていなかったのが信じられません。

 

部屋での習慣では、人が泊まった時に違いを実感します。

物の置き場所や水回り、やはり気を使っていないと状況は変わります。

相手には求めませんが、自分だったらという固い信念と善悪の判断をぶれずに行っていきたいです。

 

 

今回取り入れている習慣を続けると、考え方や価値観がさっぱりと明確になっていきます。

水回りをきれいにすると金運が上がる

なんて言う迷信も、習慣が生み出す人格だと思います。

 

いいことしかないのだから、続けていきます。

 

 

以上

 

➀習慣は人を変えるのかという実験

 

本日は

➀習慣は人を変えるのかという実験

について書こうと思います。

 

結果を先に求めると、「几帳面に転身することはできるのか」

ということです。

 

私はここ1年で、自分がとんでもなくズボラであることに気が付きました。

ズボラといいますと、性格の一種のように聞こえがよいですが、

私の中では

 

・だらしがない

・自分と他人に無頓着

・詰めが甘い

・思いやりに欠ける

・ふたを開けると空っぽ

 

のように、とてもじゃないですが公言できないマイナスポイントであります。

「私ってズボラだから~★」

なんて口が滑っても言えません。

 

 

そこで、几帳面な人にあこがれを抱くようになります。

今まで過ごしてきた習慣や環境・思考によって積み重ねたものは、

なかなか変えるのは難しいでしょう。

 

しかし、私は変わりたいのです。

几帳面になって、時間や約束を守り、きれいな部屋に住んで、こぎれいな身だしなみをしたいのです!!

 

これは習慣を変えるしかありません。

習慣は人を変えると聞いたことがあります。

 

 

『心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる』

 

 

という格言があるように、人は変われるのです。

難しく、時間もかかりますが、変われます。

 

『20歳のころの自分と今の自分、変わっていますよね?』

 

※これは実験中のアルバイトの際、隣に座っていた自律神経失調症の方(自分で自己紹介してました。)が言っていた言葉で、私は「ハッ」としました。

 

 

また、このように改心するきっかけは、

大好きだった恋人とお別れすることになったことが大きいです。

 

自分の事を自分以上に思ってくれて、向き合ってくれる心の大きな、愛情の深い方でした。

 

私はこの方に出会えたことで、今までに感じたことのない安心と喜びを味わうことができました。

 

今まで、自分に対しても人に対しても、心底諦めていました。

幼いころからの葛藤の中で、人や物に期待することをやめていました。

もちろん、期待し、努力し、求めていた時期もありました。

 

悲しくなることに疲れてしまったのでしょう。

 

この思考回路は根強く、ガサツなうえに冷淡という人格をしっかりと形成していきました。

 

しかし、こんなにも温かく見守ってくれる人がいるんだと、

半分信じられないような出来事でした。

25歳でした。

 

自分にとって、こんなにもありがたく、尊敬できる人はもう一人といない。

と、出会ってすぐに思いました。

 

だから、彼にとっても唯一無二の存在に自分がなろう、と心の底から思っていました。

それはそれは、毎日幸せで、楽しい日々でした。

 

 

しかしお別れすることになりました。

 

原因は、お互いに相手のことを思う気持ちの余裕がなかったためです。

何かがこじれたときに、二人で解決するという力が二人にはありませんでした。

 

そこには、信頼関係が強く関係しています。

信頼関係はすぐにとってつけることはできません。

宣言したからといって、結びつくものではありません。

信頼してもらえるように、努力し、相手を信頼し、積み重ねていくものです。

 

私は、嘘つきでした。

ズルでした。

こそこそしていました。

求めていました。

 

彼はわかっていました。

優しい言葉をくれました。

応援してくれました。

教えてくれました。

 

 

私はそこに甘えていました。

すべて受け入れてくれると思い込んでいました。

 

「俺がこうであっても、君がそう思うのは違うよ。気持ちだよ。」

 

何度言われたことでしょう。

今までこれでやってきたのですから、頭ではわかっていても行動に移せません。

自分の大嫌いな部分を直視させられているようで、辛かったのを覚えています。

 

 

仕事でもたくさんの人と信頼関係を結んでいる彼は、悟ったのでしょう。

私との未来は描けなかったのだと思います。

私のあまりにも精神的に未熟な部分が、彼を苦しめていました。

 

 

「このままではいけない。」

 

 

やっと、この時が来ました。

持ち味とさえ錯覚していた自分の人格を、変えなければいけない日がやってきたのです。

このままだと、今後も大切な人を失うことになる。

 

自分が変わるしか方法はないのです。

 

 

 

さて、何から習慣づけていくかということですが、

挙げたらたくさんあります。

それについては次回箇条書きしていきます。

 

 

大切なのは、常にそうすること。

誰かが見てるから、とか今日はいいやという言い訳をしないこと。

自分の中でのルールをしっかりと守ること。

例外なく、自分の当たり前になるように続けること。

相手には求めないこと。

 

 

失恋から猛反省した私ですが、

決してマイナス思考なわけではありません。

どん底を食らって精神が病んでいるわけでもありません。

 

ダメだとわかっていたことを続けていたせいで大切な人を失い、

このままではいけないんだと痛感したところです。

 

 

隣りにいたら成長できる、変われる、と心の中で思っていましたが、

そうはいかないんですね。

 

やっぱり人を変えられないのと同じです。

自分も人には変えられないということです。

 

 

「お前は努力の人だ。」

 

彼が言ってくれたことを胸に、私は黙々と習慣を続けていきます。

 

 

 

以上

 

 

 

 

 

 

ブログ開設にあたり

こんにちは、初めての投稿です。

見てくださる方がいらっしゃるかはわかりませんが、

平日に毎日投稿していきます。

 

 

このブログを開設するにあたり、いくつか目的があります。

 

 

➀習慣は人を変えるのか、という実験

②人が”成長した”ということは自ら評価できるのか、という実験

③モンキーマインドの解放

 ※モンキーマインドとは。

人は一日あたり3万回選択し 10万回思考する ざわつく心を静める「呼吸を思う」大切さ | 東京イラスト写真日誌 | 東京イラスト写真日誌

④未来への妄想と過去への執着を客観視

 

 

細かいことを挙げればまだまだあるのですが、

はっきりとした言葉で表すとこのようになります。

 

 

 

自分の性格的に、とても内向的な面がありますので、

考えたことを整理していくためにも必要なのではないかと考えました。

 

様々なコラムに見飽きて、個人的なブログや解説に興味を持ち始めたのもきっかけの一つです。

私と同じように、自らの実験を通して何かを得たいと感じている方に

少しでも寄り添うことができれば幸いです。

 

WEBへの投稿・公開が初心者であるため、読みづらい文章やレイアウトであるかもしれませんが、

ブラインドタッチを含めて練習になればと考えております。

 

 

 

書きたいことが山ほどあります。

明日から掘り下げて記録していきます。

 

 

以上