shioka-816’s diary

だいよんのせいしゅん

心が満たされること

 

 

この一年間、私の思考回路はなりたい方へ進んできたと思う。

 

後は何かを残すだけ。

 

実際に何かやってみないと、わからないことはいっぱいある。

 

何かをやり遂げた人にだけ得られるものは、素晴らしいことである。

 

やはり何かを残さなければ。

 

 

 

ちょうど一年前は、半年間休まずに労働すると決めたスタートの時でした。

 

やると決めて、やり続け、自分を信じるということはどういうことなのかー。

 

自分がどんな状態でも、やり遂げる強い意志とはどれほどの気持ちなのかー。

 

 

感じてみたいと思い、実行しました。

 

転職したその月に、休日はアルバイトを毎日やり続けました。

 

もう、やると決めたからにはほかに手段はありません。

 

遊びたいとか、休みたいとか、一度も思いませんでした。

 

ただただ、やり遂げたときに得られる『何か』のために、働き続けました。

 

 

その中で決めたルールもあります。

 

友人からの誘いは断らない。

予定は平日の夜にしてもらったり、

有休を活用したり。

 

派遣のアルバイトで、仕事が途切れないように、

即連絡・即返事を徹底したり、

社員さんに好かれるよう働いたり。

 

仕事柄、パンツにスニーカーという格好が多いのですが、

毎日ベルトをし、靴下もそれなりに選ぶこと。

靴は汚れたら必ずきれいにすること。

 

一生懸命やってみました。

 

 

その半年間の気持ちと時間を証明するために、

期間中に100万円貯めることにしました。

節約も今までにないほどやってみました。

どんどん目に見えていく過程が、とてもわくわくしたのを覚えています。

 

『誰にどれだけ褒められても、

これだけやった、と証明してくれるのは手元の大金だ。』

 

ということが「これか。」とわかったのも、実際に達成できた時でした。

 

金の亡者になりたくはないけど

シビアに、目的として。

 

ということも理解できました。

 

我ながら驚いたのは、

100万円の使い道を全く決めていなかったことです。

ピースボートにでも乗るかー。。と考えてもいましたが、

すぐに独り暮らしの物件探しと契約を進めました。

 

今回の引っ越しではインテリアや生活用品にもこだわりました。

好きなものに囲まれて自分が落ち着く空間で暮らせることは、

何か物を手に入れるよりも日々満たされると、実感できました。

 

そして人が集まってくつろいでくれるということは、やはりうれしいです。

 

心地よい場所を提供するということは、何かビジネスになるかもしれません。

例えば何もない、休憩所としても。

外観やインテリアの好みでふらっと立ち寄るカフェは、その延長線上かもしれません。

 

おいしいごはんと楽しいおしゃべり

それだけで心が満たされます。

 

その繰り返しが、いかに大事で、充実した毎日につながるかを、身をもって体験しました。

そんな日々を続けていきたいし、できるなら、誰かと共有していきたいです。

一日のうち、たった数時間しか一緒にいられなくても

それ以外の時間のそれぞれの話をしたり、

一緒にいる数時間をとても大事にしたり、

日によっては、特別な数時間にしたり。

 

居心地の良い空間のために、誰かを思って掃除したり布団を干したり

そんな時間が自分にとって心満たされる瞬間だったのを

今になって、ほっこりよみがえりました。

 

 

大切な人が健康で元気で笑ってくれていたらそれ以上の幸せはありません。

そのために自分のことをしっかりやって、相手を支えられる人でいたいと思います。

簡単なことではありません。

自分の心を自分で満たせるように、今は練習です。

 

 

そんな姿を人から「かわったね」と言われるようにもなりました。

少しずつ前進しているんだなあと思います。

 

 

やりたいことと作りたいものがいっぱいです。

世に出せるまであと少し。

楽しみです。

 

 

 

 

選択の繰り返し

 

 

なんでそんなに頑張るのか。

 

 

なりたい自分って何だ。

 

 

このままじゃダメなのか。

 

 

人から励まされるって何だ。

 

 

 

 

何としてでも私は私を変えたいのである。

 

 

 

 

ない物ねだりばかりしていられないのである。

 

 

しかもそれを、相手に求めてはいけないのである。

 

 

自分の心の足りない部分は、自分で埋めないといけないのである。

 

 

それが強さというものか。

 

 

余裕とか、優しさでもある。

 

 

 

そして、人にどんどん与えていけばよいのである。

 

 

 

 

人間レベルや生活レベル

 

考え方やとらえ方

 

同じような人が集まりやすいということは時に残酷である。

 

そちらに行きたい、と思っていても、

 

根本的な思考回路に欠落がありすぎる場合、

 

そちらの人々が離れていってしまう時がある。

 

 

まあ、当たり前の話なんだけど。

 

そう感じたなら、自分の性根を叩き直さないといけないわけである。

 

それはとても勇気。

 

毎日練習して、

 

立ち直って、

 

繰り返す。

 

 

自分でどうにかしなきゃ、変わらんのだよ。

 

向き合うとかすり合わせるとか、

 

相手ありきのことは最後にやればいい。

 

まずは、自分がどうなのかって、いつも問いかけてみる。

 

そうすれば答えが出てくるはず。

 

どちらがいいかと心に聞いてみる。

 

 

それの繰り返し。

 

 

 

できることを、やりたいことに。

 

 

ここ数日、趣味の絵を描いています。

 

年々上達している気がします。

 

うまくなろうとか(うまいの基準は別として)ではなく、

ただ、描いているときが一番集中しているので、気持ちがよいです。

 

たまに友人や家族にプレゼントしたり、

お礼で絵手紙を送ったりしています。

 

自分が思ってた以上に喜んでもらえるので、とてもうれしいです。

 

目の前の誰かが喜んでくれる、というのは本当にうれしいです。

誰かの心が豊かになったらいいな、そんな風に思いながら描いています。

 

 

世の中に価値のあるものとして、

自分から与えることも実は大事なんじゃないかと考えました。

 

「必要とされるなら…」

 

と秘めているのではなく、自分から手を差し伸べる。

 

声をかけてくれたから、救われたという経験はきっと誰しもあると思います。

 

何かを生み出すというのは優しさを表現することだと思います。

 

料理もそう。

 

自分をいたわったり、相手の好みや健康を考えたりすることがうれしいのです。

 

 

 

絵を見る、飾るということを知らない人もいると思います。

欲しいと思っていてもお気に入りに巡り合えていない人もいるかもしれません。

 

知り合いなら、私が描いたから、手にしてくれるかもしれません。

私から差し上げたことで、きっかけになるかもしれません。

 

 

 

年明けからの実験の中で、自分がやりたいことが見えてきました。

自分が生み出したもので、誰かを喜ばせたい。

困っている人を助けたい。

 

 

 

今年中に、絵画販売のHPを作成します。

それに向けて、描けたものはネット販売のサイトにも挙げていこうと思います。

 

お金をいただいてやり取りすることはただ事ではありません。

得意のラッピングも生かして、素敵な贈り物をしていきたいと思います。

 

 

 

それともう一つ。

 

自宅リラクゼーションサロンを4月にオープンさせます。

知り合いと紹介限定で。

 

サロンに行きたいけど、行きたいところがない、

やってもらいたいセラピストがいない、

私にやってもらいたい、

 

そんな人が周りに何人もいました。

これは放っておけません。

やるしかありません。

 

ただ、やるからには価値のあるものを提供したいので、

お金をいただきます。

 

そうすることで、私自身満足に施術できます。

備品にもお金をかけられます。

 

マッサージベッドは以前から購入の意思がありました。

もともとエステの仕事を始めたのも、

「技術を身に付けて、将来の旦那さんにやってあげられたら私が幸せ。」

と考えたからです。

 

 

ベッドを購入するきっかけも、夢を実現するきっかけも、

こうして来るべくしてタイミングがありました。

機会を与えてくれた友人らに感謝です。

 

 

健康は心と体が本当に密接にかかわっています。

心がダメな時、疲労もたまりやすいです。辛いです。

体がダメな時、心に元気が出ません。

 

人それぞれ何か抱えているものを、

安心して少しでも開放して差し上げることができたらと思っています。

 

カウンセリングや会話も技術の一つです。

来てよかった、また来たいと思っていただける場所にしたいと思います。

 

 

来月には備品をそろえ、手順も決めます。

 

 

 

絵画販売もサロンオープンも、楽しみで楽しみで仕方ありません。

 

 

大事に温めてきた気持ちがこのような結論が出て、本当に良かったです。

 

実際にお客様と接することができたら、本当にうれしいと思います。

 

続けていきます。

 

 

 

 

以上

 

 

 

掃除のマイルールを決めること

 

こんなに早く、この時が来るとは!!

 

ついにトイレの”素手磨き”が始まりました。

 

素手で、ズボッです。

 

トイレ掃除のコラムを見ていると、

やり方や極意など勉強になるのですが、

そこに多く書かれているのが”素手ズボッ”なのです。

 

最初見たときは

「え~、、まじかよぉ。おウェッ。」

って感じだったのですが、

 

毎日毎日行っていると、

本当に便器が綺麗なんです。

もはや食器と同じです。

おそらく、電子レンジよりは綺麗でしょう。

 

以前から愛用していた

ジョンソンの流せるブラシがあったのですが、

コストパフォーマンスが悪いのと、掃除の際床置きの物が邪魔でした。

 

遂にいらなくなりました。

日常業務としては、

 

➀100均のトイレクイックルで洗面所を拭く

 鏡→ドア→壁→床

②新しいクイックル

 便器上部→ふた→ふち→便座→便器中(キュッキュッキュッ)

③トイレマットを外ではらう

 

※タオルは毎日、マットは週一で洗濯しています。

※週一で重曹と酸をかけてクレンジング

 

我が家は現在一人暮らし、

昨年11月からの新築物件ですので、

もともと綺麗!っていうのもありますが、

やはりピカピカになるのはやりがいがありますね。

 

 

素手の醍醐味としては、

指で綺麗になった感覚を確かめられるというところです。

 

お皿を洗う時、油残りや泡残りを指でキュッキュッってやるのと同じです。

 

今気になっているのは、重曹パウダーを消臭・洗剤代わりに使用することです。

お気に入りの小瓶が手に入ったら、トイレに常備しようかと思います。

その重曹瓶に造花を挿しても素敵かなと思います。

 

現在トイレはシンプルなインテリアです。

 

ペーパーホルダーに黒いレンガを乗せ、

そこにブラジル土産のオーガニック石鹸と小さなプリザードフラワーを置いています。

 

 

 

今後、重曹瓶の設置と、

絵画を飾りたいと思います。

 

床置きは好きでないので、

良い案を温めつつお気に入りを見つけたいと思います。

 

シンプルでほこりがたまりにくく、掃除しやすいことは重要ですが、

やはり『居心地がよい空間』というのはとても大事なのです。

いい香りや物に触れると心が、一瞬で満たされます。

 

トイレという完全プライベートな空間で、

一日に数回そう感じられることは何て素敵なんでしょう、と思います。

そして、人が来たらリラックスしてもらえます。

 

我が家は洗面所とトイレが同じ空間にあるので、掃除やインテリアコーディネートがしやすいです。

インテリアを考えるのも好きなので、やりがいがあります。

 

 

もしこれからトイレ掃除を始める方は、

その家や本人に合った方法を調べたり聞いたりするとよいかと思います。

インテリアが分からない場合は、得意な人に選んでもらうのもよいでしょう。

 

 

 

 

 

その他の習慣についてですが、

お風呂掃除も毎日行っています。

こちらは以前から頻繁に行うタイプでしたので、問題なく続いています。

 

毎日湯につかるので、残り湯とスポンジでこすります。

洗剤は週1,2回しか使いません。

 

やりかたとしては

➀壁(天井から)をスポンジやわらかい方でこする

②シャワーヘッド、ホース部分をこする

③鏡、扉をこする

④床をスポンジ硬い方でこする

⑤洗面器、イスを念入りにこする

⑥残り湯で洗い場全体を流す

⑦排水溝のごみを取り、赤カビがないか注意しながら念入りにこする

⑧湯船の栓を抜き、湯船やパッキン部分をこする

⑨全体を水で流し、排水溝は強めにながし、ふたをする

⑩ワイパーで水滴を取る

⑪体を拭いたタオルで鏡を拭いて、終了

 

このやり方でお風呂場が汚くなったことはありません。

カビやカルキ汚れも今のところありません。

 

お風呂のスプレーをお風呂場に置いておくのが好きじゃなかったので、

必要な時に洗面所の置き場から持ち込むようにしています。

 

よって、お風呂場にスプレー等の置き場(100均等のカゴ)はいらなくなりましたし、

髪の毛キャッチャーは購入したことがありません。

いつも掃除しているのでシャンプーの液だれとぬめりは無縁です。

 

スペース確保とインテリアを統一できているので、お風呂場もまた癒しの空間です。

たまにボディースクラブやオイルでトリートメントするので、

その日は洗面所とお風呂場が大好きな香りに包まれます。

 

人が来たときはこのオイルの香りに敏感に気付いてもらえます。

自分では使った日しかわからないのですが。。

 

 

 

こう考えてみると、年明けからの習慣でだいぶ綺麗好きに転身している気がします。

クイックルワイパーは一日に3回以上かけますし、

掃除機もできれば毎日、少なくとも週に1度は必ずかけます。

 

これにより、必然的に散らかっているものを片付けますし、

いらないものもすぐに処分できています。

 

様々なことが連鎖していることが分かります。

 

また、窓を開けるのが好きなので、

休日は起きてすぐ窓を開けます。

防寒して朝ごはんを食べたら、玄関とベランダの掃き掃除です。

先日は玄関のタイルをゲキオチ君で磨きました。

汚れやすい素材なので、定期的に磨こうと思います。

 

ベランダに関しては、とにかく砂ぼこりと髪の毛(なぜか)がひどいので綺麗にします。

雑巾で物干し竿、竿周辺の金具、ベランダ手すり、室外機を拭きます。

窓のさんには髪の毛や糸くずがたまりやすいので、こちらは掃除機で隅まで吸い取ります。

 

晴れていたら植物を外に出して日光に当てます。

ベランダも使いやすいようにブロックと足場板をかけています。

 

 

数年前の一人暮らしは、

とにかくあるものだけで生活し、掃除のツールも極端に少なかったです。

ほうきもなかったですし、クイックルの類も節約のためあまり買いませんでした。

 

道具や専用洗剤が必須ではありませんが、

その汚れに特化した素材と成分は把握したほうがよいかと思います。

 

また、ベランダなんかはほうきと雑巾がなきゃなかなか掃除をする機会もなくなってしまうと思います。

物の定位置と掃除の仕方を自分の中で決めておくと、きれいなお部屋が保てると思います。

 

 

綺麗なお部屋がこんなにも心地よく、気分も前向きになるとは思わなかったです。

話はたくさん聞いていましたが、実際にやると本当にそうなので目から鱗です。

毎日、今日もイイお部屋だなとホッとする時間がとても充実しています。

 

ここに誰かがいると、なお幸せです。

今日も地元の友人が遊びに来てくれるので、楽しみです。

週末布団カバーを洗っておいてよかったです。

 

 

 

 

 

 

以上

やった人にだけわかること


物の見え方に意識して生活していると、
まさにいろんな情報が飛び込んでくるので面白い。

先日、学生時代から仲の良い友人が家に遊びに来てくれました。
その友達はおっちょこちょいで、二人の間ではネタがたくさんある友達です。

 

その友達の行動一つ一つが危なっかしくて、
「相変わらずだなぁ。」
と心の中で思いながら過ごしていました。

 

起きてメイクをしているとき、
鏡の位置を調整するためにその子は中身の入ったコップを用いていました。

「なんでそんな危険なものを使うんだろう。
彼女の視点できっとそれがベストの位置だったんだろう。」

 

と思って他のことをしていたら、
『きゃーーーー!』
と悲鳴が聞こえました。

案の定、
コップが倒れ、リンゴジュースがカーペットにバシャッ。

 

彼女は自分が鏡の支えにしているものが、コップだとは気づかなかったらしいです。

 

驚きです。
予想できていたことが起きて、可笑しすぎて笑いました。
彼女は懸命に謝ってくれ、一生懸命拭いてくれました。

 


出かけることになり彼女の車を一目見たとき、
「タイヤのホイールが黒いなぁ」
と思いました。

 

なにしろ最近中古で購入したとのことで、
「この彼女がまさかのオフロード系かスカチューンとか好きなのか。。」
くらいに思っていました。

彼女があまり車に詳しくないこともあり、
「知らずに買ってたらもっとおもしろいな。。」
と思っていました。


すると、車内で彼女が
『そういえば最近、右折に失敗してタイヤのホイールキャップがとれたんだよね。』
と言いました。


驚きです。
しかも、現場へすぐに探しに行ったそうですが、見つからなかったらしいです。

可笑しくて笑いました。

 

このように視点が変わると
今まで見えていなかったものが見えてくるということが分かりました。

私が今回行っている実験をしていなければ、

二つの事柄に目を向けていなかったかもしれません。

 

 

いつも通りだろうか。
違和感のあるところはないか。
これで完了しているだろうか。
やりっぱなしになっていないだろうか。

 

相手の表情はいつも通りだろうか。
正しい言葉を使えただろうか。
支払いと請求は済んでいるか。
大事な道具が出しっぱなしじゃないだろうか。


基本的なことを
常にこなし、常に新しい行動の準備をする。
自分にとって譲れないもの、相手にとって大事なこと
直接じゃなくても、最終的には両方うまくやっていく。

そして、今目の前にいる人と、気持ちよく心地よく過ごしていく。
楽しく仕事してもらう。
完璧に物を作り、仕上げていく。

 

 


元恋人が口癖のように言っていた、
『人の心の痛みのわかる人になりたい。』
『調子に乗ってはいけない。常に、自分はまだまだです、と人に言えるようにしたい。』
『人を上げて、自分は下げる。いつも。』
『本人のいないところで、その人のことを褒めまくりたい。人の良いところを他の人に広めたい。』


毎日のように私に言っていました。
私が見ている限り、彼は常にそうしていました。
それがどんなことなのか、あの時にはわからなかったことが、自分の中の経験として実感できていることに気が付きました。

 

 


彼はいつも誰かのことを褒めていました。
『あの人はすごい』
『あの人のこういうところがかっこいい』
『あの人は男たるものを持っている』
『あの人は愛されている』
『あの人がすごいのは、奥さんがもっとすごいから』
『奥さんが偉いよ』
『あの親あってのあの子供たちだな』
『お前のそういうところがすごい』
『お前はやると決めたら必ずやるからな』
『お前はやらないと決めたら必ずやらない、そこがすごい。俺にはできない。』
『お前はすぐに気付くからえらい』
『お前には俺の表情が分かってしまうからかなわない、わからないようにしてるのに』
『お前はいろんなことを器用にできるのがすごい』
『それを全然表に出さないところが好き』
『だからそのままでいいよ』
『俺が周りの人に伝えてるから大丈夫』
『お前がいろんなことができるのは、お前が努力してきたから』
『お前がおいしいもの作れるのは常に感じたり研究してるから』
『お前が上手に絵が描けるのは小さいころから練習したから』
『お前がギター弾けるのもバイクに乗れるのも遠くに行けるのも裁縫できるのも家事ができるのも、そうなりたいと強く思って行動したから』
『それを才能とかセンスとか、っていう言葉では評価できない』
『お前を評価するなら、努力できるところ』

 


本当に、毎日のように人を褒めていました。
自分も相当がんばって、疲れていても、絶対に
『俺はこんなにやっている』
などとは言いませんでした。

 

どんなに人から褒められても、自分から主張することはありませんでした。
そうあるべきとして、彼が意識的にそうしていたことも知っています。
その強い信念と継続力は、”尊敬”の一言です。
だから、私は彼を唯一評価のできる人として、存在していたいのです。

 

 


彼は、人が調子に乗ったらどうなるのかを知っています。
人の悪口を言ったらどうなるのかを知っています。
仕事で手を抜いたらどうなるのかを知っています。
仕事の取引で、ズルがあったら一生ダメになることを知っています。
一緒に働いてくれる人に、エラそうな態度をとったらどうなるのかを知っています。

 

 

 

経営者は、自分を信じるしかありません。
常に上を向いていないといけません。
走り続けなくてはいけません。

誰も代わりはいません。

孤独で、常に何かに追われていて、休んでいる暇はありません。

どれだけ仕事をきちんと仕上げても、感謝されても、人とうまくやっても、

初めから最後まで、自分しかいないのです。

 

 

 

『こんなのはわからなくていい。やった人にしかわからないから。

 ただ、自分の決めた道に進むしかないから、俺はこれしかできない。』

 

 

こう言われたときは、なんて返したらよいのかわかりませんでした。

 

なぜ彼が、あんなに忙しくしていたかは、彼の功績としか言いようがありません。

彼じゃなかったら、あんなに仕事を呼ぶことはないでしょう。

 

 

『一番きつい時に、一緒にいてくれてありがとう。

 これから同じ仕事量が来たとしても、一人ではできないだろうし、

 来たとしても同じやり方はしないと思う。

 だから本当に感謝してる。』

 

『家族ってチームワークだよな。

 俺がこんな風にできるのは、お前がいたから。

 だからと言って、俺の仕事の同じ気持ちを味合わせることとは違う。

 わからなくていいけど、そう思ってることを知っていてほしい。』

 

 

後からこんな風にも言われました。

 

 

わかってあげたいけど、

きっと計り知れないプレッシャーと精神・肉体の疲労は

彼にしかわからないのだと思います。

わかることではないのです。

 

 

 

だからこそ、

少しでも私は行動したいと思います。

 

あれはどういうことだったのか。

どう意味なのか。

何が伝えたかったのか。

 

 

やってみないとわからない、とはそういうことです。

 

掃除が大事、というのは表のこと。

 

毎日続ける、気付くという習慣は、

やっているから身につくのです。

 

 

 

ますます楽しみになってきました。

 

 

以上

 

 

 

 

 

 

みんなが持ってる弱い心

 

『いつかやるよ』

 

『彼氏にはしないよ』

 

『結婚したらやめるよ』

 

『子供ができたらやめるよ』

 

 

 

『掃除しようと思えば完璧にやるよ』

 

『職場のデスクはきれいだよ』

 

『お客さん来たら何とかするよ』

 

『外面はちゃんとしてるよ』

 

 

 

人々の日常です。

みんな思っています、言っています、やってません。

 

思うのも言うのも簡単です。

宣言するのは一瞬です。

 

やっている人はわずかです。

やっている人になりたいです。

 

やっている途中です。

やっている人を素敵、と思ったから、私も仲間になりたい。

言葉に意味を持って生活したい。

自分の行動に噓をつかない。

 

ストイックで、疲れてしまうのでは?

 

全ては気持ちです。

気持ちがあれば、行動できます。

 

気持ちがないから、疲れます。

誰かの気持ちだから、ストレスになります。

 

自分の内側から湧いてきたものに正直になれば、ただやるだけです。

 

 

忘れてしまうこともあるでしょう。

うっかり失敗することもあるでしょう。

 

トイレ掃除、忘れたこと1度あります。

まだ習慣になっていないのでしょう。

なので、『毎日行うとどうなるのか』という実験は、

誰も知るよしのない闇へ消えていきました。

あの一日やっていたら・・・なんて後悔しても、未来は変わりません。

 

 

なぜ習慣になっていないのか?

 

期間が短いから?

忙しかったから?

人が来ていたから?

体調が悪かったから?

 

起こりうるすべてのことに準備していたか。

忙しかった翌日の朝は早起きしたのか。

人が来た日の最後のシャワーの後、トイレをのぞく余裕はなかったのか。

体調不良にならない工夫はしっかりできていたのか。

 

究極をたどれば、

する気が足りなかった。

これに限るでしょう。

 

忘れたことに気付いた時、どう思ったかが問題です。

『まだまだ意識が足りないな。』

素直にそう思えたことは、私の中での成長でした。

 

 

忘れることや失敗することは仕方がないです。

そのときに、根本的な原因を見つけることが大事です。

もし相手を傷つけたり迷惑をかけたら素直に謝れるか。

言い訳を並べて、納得してもらえるよう相手を”無意識に”コントロールしていないか。

 

相手が忘れたときや失敗したときに、

全部話を聞いてあげられるか。

全ての起こりうることだと考えられるか。

大丈夫だよ、と声をかけてあげられるか。

 

 

また家に来てもらえるようにおもてなししたか。

清潔な身なりと潔白の対応ができたか。

約束が延期になった時、またこちらから誘う行動をしたか。

 

 

 

すぐに、常に、という習慣は、人付き合いでとても大事です。

自分のことを尊重してくれてる、と安心できる相手とは、

このような信頼関係が築けています。

 

そんな仲良しの相手にも、常に思いやりをもって接することはとても大事です。

私の尊敬する、大好きな元恋人は

常に、誰に対しても優しい言葉かけと思いやりのある先回りの行動をする人でした。

そんな人とすぐそばで生活できた経験は、自分の中でしっかりと温めて、生かしていかなければいけないと感じています。

 

今度は、私が与えられる人になります。

同じようにできるように人格が出来上がったら、

もっと優しくできると思います。

自分のことを素直に、説明できると思います。

感情の埋め合わせを相手に求めないと思います。

相手が弱っているときに、ただただそばにいてあげられると思います。

全部話ができると思います。

 

お互いに。

 

 

どちらだけが悪い、ということはあり得ません。

我慢することがよいことではありません。

お互いに、歩み寄れる余裕が大事です。

まっすぐに伝えて、気持ちを交換して、

すり合わせていくことが大事です。

 

白黒はっきりさせるために

思いやりがなくなることは悲しいことです。

 

柔軟なほうが、堅いほうに寄り添える関係が素敵だなと思います。

 

 

 

以上

②成長したことを自ら評価できるのか

 

実験の意図

②自分が成長したということは、自ら評価できるのか

についてです。

 

成長したいという気持ちは”目標”です。

目標が達成されたというのは、”誰が見てもわかる”状態であるべきです。

 

自分がそう感じたからとか、ここまでやったから、という自己判断は宛てになりません。

 

目標達成の証明方法としては、

 

・数字を達成する

・世間から評価される

・一定の肩書を手にする

・一定の大会に出場し、目標の結果を残す

 

などが挙げられます。

目標設定の仕方は、高校時代の部活で鍛えられました。

 

自己判断の恐ろしさも教えられました。

簡単に目標を下げられますし、様々な出来事を理由に言い訳を並べます。

もちろん状況や体調で万全でない日もあるかもしれません。

 

しかし決めた目標の結果が残せなければ、どんなに頑張っても”達成”ではありません。

過程の意味はおおいにあります。

勝っても負けても、経験した人にしかわからない価値があります。

そこでつながれた仲間や人々の関りは、かけがえのないものでしょう。

どんな状況でも、自分の行動に責任を持つ。

言い換えれば、責任も取れない言い訳をするな、ということです。

 

『負けた時に何をするのか。』

 

負けた時に何を思い、すぐに行動を移すか。

ここで人格が問われると高校時代の部活で教えられました。

 

 

『感謝と謙虚の気持ちを忘れるな』

『常に勝ちぐせを付けろ』

『準備を怠るな』

『言い訳をするな』

『パスを上手に受け取れ』

『すぐに言葉にしろ』

『仲間を思え』

『言葉ではなく、行動しろ』

『鉄は熱いうちに打て』

『思ったときに、書き記せ』

『必要なことを必要な時に必要なだけやれ』

『ぬるま湯につかっていい気になるな』

『勇気を持て』

 

 

約十年経った今、不思議なほどにポンポン言葉がよみがえります。

あの監督は、サッカーを通して私たちの未来まで想像していました。

人として、あの時しか学べないことを必死で教えてくれました。

当時ただただ聞いていた言葉も、今回のようにやっと自分のものにできる日が来ることも、監督はわかっていたのかもしれません。

 

言葉の裏にある心理は多くを語らず、私たちに悩む機会をくれました。

本当に、高校時代に得た経験は私にとってかけがえのない宝物です。

今こうして自分と正面から向き合い、新しい目標に向かって行動できるのは監督の言葉が自分の中に存在していたからだと思います。

何よりそこでの仲間は、尊敬できる自慢の仲間で、そうであることが自分の誇りです。

 

 

さて、戻りますが

成長したことを自ら評価するにはどうしたらよいでしょうか。

 

明確にするには、私が”何者か”になることです。

 

 

人に幸せを分け与えられるような、

心にゆとりのある自分になりたい。

大切な人を大切にし、相手からも大切にされるように。

 

人は鏡です。

自分の周りの人へ感謝の気持ちを表現できるようになったら、

きっと周りの人はもっと良くしてくれます。

 

与える側でいたい。

身近な人が困っていたら力になりたい。

人をもてなしたい。

 

 

こんな人になりたい、と浮かぶ言葉は曖昧です。

”何者か”になるべくはっきりとした目標設定ができるよう、考えていきます。

 

 

 

以上